朔ユキ蔵「神様の横顔」

神様の横顔(1) (モーニングコミックス)

朔ユキ蔵先生が演劇漫画を描きはじめた。

あの「アイドルとヤリまくって身体に星のアザを持つ女性こと「フクマン」を7人探そう!)」とか「読者が“さっさとヤレよ!おまえら!”と突っ込みたくなるほど展開が全然進まない学園内浮気もの」とか「ものすごいヤリチンが少女を師匠に究極の○○○ーを研究する」とか、なんだかんだ色欲ばっかり描いてた朔ユキ蔵先生が、朔ユキ蔵先生が!!!(正確には正統派ファンタジー漫画もあるにはあるけど)。

しかも男性のみの演劇学校を舞台に、才能を「持つ者」と「持たざる者」を巡る物語、いうかなりまともな内容。人の目を惹きつける、役になりきる、そもそも人より優れた演技とは? といった演劇の紐解きはもちろん、意外にも少女漫画的な展開も含まれており、これはいきなりの新境地! と驚くばかり。

まだ1巻のみの刊行でこの先どうなるのかわからないけど、朔先生作品で特徴的だった「勢いのある黒で塗りつぶされた混沌の描写」が影を潜め、演出の仕方から線の作り方まで変化が見て取れる。なんだか「正統派」に挑んでいる印象もあります。

スイッチ総研『下北沢演劇祭スイッチ ~あなたの知らない本多劇場~』

「突然演劇システム」ことスイッチ総研が『下北沢演劇祭』に参戦。しかも下北・本多劇場の裏側を案内する1日限定開催のバックステージツアーとなれば行かない理由なし。チケットが即完売したあとに、平田敦子さんやナイロン100℃峯村リエさんの参戦が発表され、テンションが高まる。

スイッチ総研 - 下北沢演劇祭スイッチ

 

目の前で参加者巻き込み型の少人数向け芝居(一度に体感できるのは1人~4人ぐらい)が突如としてスタートする。数十秒という鑑賞者が冷静に俯瞰できないハイテンポで作られているので、あっけにとられて笑う事しかできない。異常な近距離で「芝居」に入り込まされるので、ドラマの配役に打ち合わせなしでねじ込まれたような気持ちになる(でもほっとくと終わるので安心して見れます)。あと、スイッチを押す時のドキドキした状態の人間ってこんなに無防備になるのか、という発見もあったり。

公演は、とにかくベタなギャグから豪勢なやつまで至れり尽くせりで感無量。本多劇場がバックステージを開放するのは1982年の開場以来初めてとのこと。楽屋から裏通路、男子トイレ、事務室まで巡らせていただいた。知らない人を含む4人組グループで参加するのですが、その知らない人たちとなぜか本多の舞台上にあがり、一列に並んで左手を胸にあてた瞬間(このときはこれが“スイッチ”)にスポットライトがあたり、どこかに隠れてたスタッフが全力でスタンディングオベーションって、いうのが最高に笑った。あれだけライトがあたると、客席って一切見えなくなるのね

やってること自体は子供から大人まで楽しめる単純なものですが、テンポや細かい気配りが本当によく考えられてる(しかもそれを感じさせない最高なやつ)なのでおすすめです。

康本雅子/スズキユウリ『視覚障害×ダンス×テクノロジー“dialogue without vision”』

入場無料のダンス公演『dialogue without vision』を見てきた。吹き抜けになっているKAAT神奈川芸術劇場の広いエントランススペースを舞台にした「視覚障がい者」によるダンス公演、というのが前知識。

www.cinra.net


舞台は10メートル四方程度の広さで、客席との段差はない。隅には蛍光色に近いピンクの縁取り。ダンサーは6人。ダンスのディレクション康本雅子さん、公演に使われるデバイスをスズキユウリさん、音楽をイトケンさんが担当していて、年配ではなく30代あたりがターゲットの「尖った」公演になることがうかがえる(ちなみに鑑賞者は写真と動画の撮影が可能)。

公演は20分程度。四方から音がする中で「ダンス」というより、身体の衝突から生じるコミュニケーションが展開される。指先の細かい触角のような動き、ひっくり返ったり、引っ張りあったり、一見すると子どもの動作のように見える振付に康本さんらしさを感じる。

注目すべきところは使われているデバイス(服や身体にセンサーがついており、触れると音が鳴ったりする)なのだけど、それよりも目が見えない人にどうやって振付を教えるのか、そして2人一組で踊っている彼らはどのような手段で相手の位置を察しているのか、そんなことばかり考えてしまう。

とはいえそんな些細なことよりも、ダンサーの「うれしい顔」が印象に残った。普段は必要以上に迷惑をかけないために、無意識化ですら制限されている「運動」に思う存分取り組めることへのよろこびが顔に表れている(なお、ダンス自体はかなりラフなものになっている)。鑑賞者を意識した笑いではなく、体を思う存分に動かせていることに対しての感情のように見えた。鑑賞者が「一緒に楽しませてもらっている」ように感じるダンスははじめて観たし、これから先もあまり見られないと思う。

余談1
終演後に配布された出演者紹介のチラシを見て、自分の勉強不足っぷりを再認識する。少し考えればわかるのに「視覚障がい者全盲、あるいはそれに近い人」と勝手に思い込んでいた。もちろん視覚障がいには様々な種類があり、今日のダンサーだけでも「中心部にノイズがかかっていて小さい文字は読めないが歩く動作などに支障はない」「チカチカした光の残像が常に見える」「中途失明(生まれつきではない)で光の明暗はわかる」「視界が狭いが中心部は良く見える」と多種多様な見え方の人がいた。

余談2
ダンサーの中で中心を担っていた加藤秀幸さんは佐々木誠監督の映画『INNERVISION インナーヴィジョン』のメインキャストの方だ、と見てる途中で気づいた。


くらもちふさこ「α」

α (上) (ヤングユーコミックスワイド版)

漫画のことをポツポツ書く中で触れたいテーマがいくつかあり、そのうちのひとつが「連載誌で読むべき漫画問題」だ。漫画読みには「単行本派」と「連載派」という2大勢力があり、頻繁に「ネタバレ」をキーワードに死闘を繰り広げているが、そのあたりの是非はともかく、この世には「連載で読んだほうが死ぬほど面白い漫画」が間違いなく存在している。

たとえば「ONE PIECE」の頂上決戦の際の盛り上がりは異常な熱でネット上に広がったし、週刊連載ならではの一話の短さが展開のハラハラさを盛り上げるパターン(スポーツ漫画の試合)など、そのバリエーションは多岐にわたる。いくつか思いつく作品があるので、今後取り上げていきたいと思う。

その中でもかなりレアケースなのがくらもちふさこ「α」(上下巻、2003年刊行)だ。当時は連載誌で読んでいたのだが、数年後に読み直そうと思って単行本に手を出して驚いた。収録の「順序」が連載誌と違っている。具体的には、全12話が「1話、7話、2話、8話、3話、9話…」の順で載っているのだ。しかも話の構造的に、順序が変わってもそれが話の根本を変えるものではないので、単行本派は気づかないという仕組み。実際にamazonレビューでは、誰もそこについて言及していない。

この順序変更に良し悪しはなく、確かにこの変更によって話は圧倒的にわかりやすくなるのだが、「連載派」が味わうことになった「予想外の展開」は完全に失われており、結果的に同じ作品を読んだファンでもその印象は90度ぐらい変わることになっている。

もし、どういうことなのか興味があれば、2008年に発売された文庫版には元の順番で収録されているので、こちらから手に取ってもらうことをオススメする(「α」に連載時の1~6話、「α+」に7話~12話が収められている)

α-アルファ- (集英社文庫―コミック版)

α-アルファ- (集英社文庫―コミック版)

 
+α-プラスアルファ- (集英社文庫―コミック版)

+α-プラスアルファ- (集英社文庫―コミック版)

 

 

タナカカツキ「マンガ サ道 ~マンガで読むサウナ道~」

マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~(1) (モーニング KC)

漫画家でアートディレクターで映像作家で「水草水槽の世界ランキング第8位」と、肩書きがどんどん大変になっていくタナカカツキさんによるサウナ指南本。2011年にも「サ道」というサウナ体験記を出しているカツキさんですが、今回はまさかの連載化。「モーニング」で月一掲載中なので続刊も刊行予定。

「サウナ&水風呂」がセットになっている理由や(「サウナは汗をかく場所ではない、前戯にすぎない」とのこと)、入り方の「基本知識」はもちろん(カツキさんの本を読むまでそんなこと知るよしもなかった)、サ道で会ったさまざまな達人たちのエピソードから、サウナ本国であるフィンランドでの「サウナの存在意義」まで、ひたすらサウナに対して描かれている作品。そのストイックさに脱帽。ちなみにカツキさんは、日本に2人しかいないという「サウナ大使」でもある。

ブックデザインコース「ブックデザインの魅力」( 講師:鈴木成一)

鈴木成一デザイン室の代表こと鈴木成一さんのイベントに行く。鈴木さんは途方もない量の装丁を手がけていて(30年間で1万冊といわれている)、しかも作風の幅広さがすさまじい。個人の方が運営しているサイトだけど、ここに一覧を発見。知っているあの本この本がございませんでしょうか。

 

鈴木成一デザイン室 | すてきな装丁や装画の本屋 Bird Graphics Book Store


もちろん名前は知ってるけど、そういやどんな人でどんな信念を持っているのかなど全然知らないので、昔から気になっていたのでした。イベントに行く理由は、著書を読むより本人を目の前にしたほうが話が早いし、そのほうが印象を正しく捉えられるから。

会場に10分遅れで着いてみると、何やら鈴木さんと一部の人以外は席を全員立ち、ひとつの机を囲んでいる。おそるおそる近づくと、生徒が作ってきた装丁のダメ出しを、学校さながらにしているところだった。そしてこの段階で「これトークショーじゃなくて公開講座だ」とはじめて気づいた(大いなる勘違い)。

今回のイベントは、中垣信夫さんが代表をつとめるミームデザイン学校が主催しており(要は学校の宣伝イベントです)、実際にこの学校に通っている生徒が、作品をもってきて鈴木さんに見てもらう、のを見る、という内容である。

この時点で頭をよぎった「もしやイベント中ずっと立ちっぱなしなのでは?」という予想が残念ながら当たるのだけど(計2時間半)、結論から言うとそれはそれで緊張感があってよかったというか「ゲスト」っぽい視点で参加しないですんだ。まるで鑑賞者は教室の幽霊のようでもあった。

全部書き出すとすごい量になるので雑に以下。

「“いい写真”と“装丁に使いやすい写真”は別もの」
「デザインする前に(納期の関係で)先に紙を決めてといわれるけどそれは無理」
「帯はチラシだから違和感であることはOKだけどもちろんそのバランスはすごく悩ましい」「汚さは強調でもある」
「カバーが汚れやすいと返品あとの再出荷ができなくなるのでNGが出やすい」
「写真家さんによっては文字載せが絶対NGの人もいる(具体的に大物写真家の名前があたる)」
「真面目なイラストレーターさんに仕事をお願いするときは具体的に指示しすぎるとその人の発想を殺すから気を付けるように」
イラストレーターよりインデザインのほうが100倍速い」

などなど。TIPSとして書き出すと豆知識っぽくなるけど、印象的だったのは、イラストや写真の個性をどれだけ生かせるかに重きを置いているところ、生徒との会話はダメ出しが多いけど頭ごなしに起こることはなくてすべて理屈が存在しているところ、装丁もしくはデザインの成立に対する「必然性」をひたすらに追及していて、「俺はこれが好きだ」といった主観の感想が一度も出てこなかったところ。その本にふさわしい「絶対解」があると疑っていない印象。

年に数百冊におよぶ装丁を手がけるには、自分が導き出した最適解までのフローを作業者に依頼できること(最終の仕上げ・確認は鈴木さん自身がやっている)、「自分が一番この本にふさわしい装丁ができる」という自信(じゃないとこの量はこなせないはず)が必要なんだなあ、と知る。


余談1
このいわゆる「デザインの現場」っていうものがやっぱり私は苦手であることを再実感したりもした(昔、デザイナーをやってた)。人によって最適解は違うので、それをぶつけるっていうのはすごく精神を消耗する場で、私は「デザイン」っていうフィールドで人に変化を提案するだけの自信は全然ない。

余談2
ミームのイベントはけっこうコアな内容が多いので楽しい。すごく昔に参加したたときは、ゲストの鈴木一誌さんと中垣信夫さん(いわゆる大御所)が有山達也さんと古平正義さん(中堅、というか有山さんは中垣さんと師弟関係)に対して、めっちゃめちゃ仕掛ける「デザイン泥レス」で、一誌さんさんが小平さんに「なんでゴシック体ばっかり使うの?(ニコニコ)」と聞いたときは、会場全体からぼのぼの汗が出るのが見えた。

西原理恵子「ダーリンは70歳」

どこで聞いたか忘れたけど「月給が100万を超えると色々どうでもなってくる」っていう話が頭に残っていて、人間の価値観を一番簡単に変える方法ってきっとお金なんだろうな、と思う今日この頃です。

「ダーリンは70歳」こと、西原理恵子と「YES!高須クリニック!」こと高須克弥のバカップル本。そして金銭感覚と価値観がとてつもなく狂っている人について、オールカラーでひたすらハイテンションに細かく教えてくれえる素晴らしいレポート本。年収50億とも噂される人の思考回路はもちろんおかしいのだけど、人としてそもそもの考え方が狂っているからこそ年収50億の実現もうなづけるという、まさかの逆説成立本でもある。

ちょっぴり感動的なエピソードが読者層を広げるためか帯に散りばめられてますが、中身は完全に下世話&突飛&そしてまた下世話な話、つまりいつもの西原節がさく裂しているので安心して読めます。フリーメイソンの内情の話もいいですが、高須先生のチャクラが開くエピソードが好きです。

 

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