高野雀「低反発リビドー」

低反発リビドー (ゼノンコミックス)

初の単行本「さよならガールフレンド」も大好評(身の回りの絶賛っぷり半端ないし、それに互いない面白さ)の高野雀先生によるショートショート「性癖」漫画。1話が5P前後なのでざくざく読める。

全1巻に30話。勝手に「性癖図鑑」的ものを期待して読んだらちょい違った。もちろん「匂いフェチ」「女装」「縛り」のような「フェチあるある」も出てくる。でも実態は、ステレオタイプな言葉に落とし込むと安っぽくなってしまう「グッとくる事柄」を伝えようとする会話の断片で、性癖というデリケートな題材をステレオタイプな形式ではなく、断面から見るような気もちにさせてくれる、まるで性癖の金太郎飴のような良質の会話劇だった。

たとえば、中にはただた単に男数人が集まって酒を飲んでいるダベってるだけの話もあって(しかも野郎ども、話の結論がちゃんと出せないあたりが最高)、理屈臭い視点でいうと「オチがない(落とす必要がない!)ゆえに発生する気軽さ」、ヘラヘラ視点だと「みんな違ってみんなかわいい〜」というところか(もちろんそう魅せているのは高野先生の力である)。

ちなみにそれぞれ1話で取り上げている性癖を30Pぐらいに掘り下げて描こうとすると、生々しさ&深刻さを伴う読者層の狭いやっかい漫画に豹変してしまうので、このページ数のさっくり感&サバサバした会話は改めてものすご〜く好ましい。あと、食指が動かないエピソードは「へ〜」ぐらいの気持ちで読み進んだらいいと思った。たぶんそこに「興味がない」っていうことが、他人からすると「信じられない」ことかもしれないし、同時にそういえば人の性癖なんて自分には大半がどうでもいいことだな〜って初心(でも性癖の初心って何?)に戻ったりもできる。

あと、すべてのエピソードがみんな唐突な流れなのにさりげなくはじまったように錯覚させられるのは、漫画という枠組みが活用されているところで、これを映像でやるとコントみたいになってしまいそう(たぶん小説でも枠組みとしてはOKなのではないか)。そういう漫画でしか作れないテンポも、すごくよい作品。

低反発リビドー (ゼノンコミックス)

低反発リビドー (ゼノンコミックス)

 

テスト・サンプル05「ひとりずもう」

サンプルによる実験公演「テスト・サンプル」。今回は主宰の松井周さんと所属俳優がそれぞれタッグを組んで作った「一人芝居」5作品が上演された。とりあえず松井さんが役者として出てくる公演はできる限り見に行くようにしているので速攻でチケット確保しました。

 

内容は、不動産仲介業者の一人芝居から浮き彫りになる「内見あるある」、松井さん自ら演じる学校教師の妄想の暴走から狂っていく三者面談、際どい時事ネタを盛り込んだ一人謝罪会見などなど。一人芝居であることを観ているうちに忘れられる演技力はもちろん(そこは当たり前っていう前提はうれしいことなんです)、短い上演時間でありながら脚本にしっかりと盛り込まれた違和感と話の切り返し(サンプルの実験公演をあえて観に来てる客にストレート球を投げても確かにダメ)、そして細かいエロ要素と豪快な下ネタが合体した波状エロ攻撃。本公演より気軽に観られるキャッチーな内容で、下手なコントより楽しめるところがうれしい。最近観た中でもやっぱりトップクラスに面白い。

作り方の部分まで突っ込むと、本公演と同様にエチュードで脚本が作られており、役者から松井さんにテーマが出され、それを1回2、3時間のやりとりで膨らませてそこから最終的な形に落とし込む、という方法が取られている。アフタートークで松井さんが言っていた「人間の反応に重きを置いている」が体現されているのだけど、それでいて表面上がキャッチーに仕上がっているのが最高。


ちなみにサンプルは知らなくても、所属団員の古舘寛治さんに見覚えはありませんでしょうか? 映画やドラマではキャッチーな役所が多いけど、サンプルの公演では救いようもない自己中&極悪スケベじじい役ばかりで、私はとても好きです。

眉月じゅん「恋は雨上がりのように」

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

表紙に登場するかわいい女子高生・あきらの目線を中心に描かれる恋愛漫画。ただし、彼女の思い人はバイト先のさえない店長(45)という少し変わった設定。

ギャグ漫画的なノリを想像して読んだら、至極まっとうな恋愛漫画だったので驚く。しかも掲載誌が「ビックコミックスピリッツ」(月刊から隔週に掲載誌の変更があったとのこと)だったのでもういっちょ驚く。

中年の男性読者は「なんで俺のこと好きなの?」と疑問を抱く店長の心に自分をかさねて読むのでしょうが、おそらく女性はあきらに対して「なんで店長なの?」と疑問をもって読むのではなかろうか。読み手の視点が違ってもこの二人の行く末という目標があるから、色んな読者が手を取って見守ることができるのがいいところで、このバランスを保てる読者層の広い恋愛漫画っていうのは貴重な気がする(とはいえ恋愛漫画は苦手ジャンルなのであくまで想像ですが)。

余談
このマンガがすごい!2016」の「オトコ編」上位に食い込む恋愛漫画は、けっこう警戒して読みはじめることが多いのですが(女の子が弱い存在として描かれている作品が多く、高確率で読んでてげんなりしてくる)、これは完全に気苦労でした。女性にも安心して薦められる変化球恋愛漫画

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

 

大川ぶくぶ「ポプテピピック」

ポプテピピック (バンブーコミックス WINセレクション)

クソ漫画大好きメーターがビンビンに振り切れる4コマ漫画。時の流れがいっさい考慮されていない特攻隊のような時事ネタ、某人気漫画のパクリ、ターゲット属性が狭すぎるあるあるネタ、コピペによるコマの使いまわし、脈略のない思いつきのネタなどの宝石箱。まごう事なきTHEクソ漫画。でも大好き。

この手の作風って確かに需要はあるのに身近なところで誰に薦めたらいいのかまったくわからないのが難点。あとタイトルの下に「POP TEAM EPIC」とありますがこちらもノリしかないという救いようのなさ。でも大好き。

興味が少しでもわいた場合は竹書房ウェブコミックサイトで一部が読めますのでどうぞ。

けっこうツボにはまった場合は、作者の新連載が最近はじまったのでとりあえず1話の最後までどうぞ。

あとamazonレビューがほぼ大喜利になっているのでこちらも。

ポプテピピック (バンブーコミックス WINセレクション)

ポプテピピック (バンブーコミックス WINセレクション)

 

朔ユキ蔵「神様の横顔」

神様の横顔(1) (モーニングコミックス)

朔ユキ蔵先生が演劇漫画を描きはじめた。

あの「アイドルとヤリまくって身体に星のアザを持つ女性こと「フクマン」を7人探そう!)」とか「読者が“さっさとヤレよ!おまえら!”と突っ込みたくなるほど展開が全然進まない学園内浮気もの」とか「ものすごいヤリチンが少女を師匠に究極の○○○ーを研究する」とか、なんだかんだ色欲ばっかり描いてた朔ユキ蔵先生が、朔ユキ蔵先生が!!!(正確には正統派ファンタジー漫画もあるにはあるけど)。

しかも男性のみの演劇学校を舞台に、才能を「持つ者」と「持たざる者」を巡る物語、いうかなりまともな内容。人の目を惹きつける、役になりきる、そもそも人より優れた演技とは? といった演劇の紐解きはもちろん、意外にも少女漫画的な展開も含まれており、これはいきなりの新境地! と驚くばかり。

まだ1巻のみの刊行でこの先どうなるのかわからないけど、朔先生作品で特徴的だった「勢いのある黒で塗りつぶされた混沌の描写」が影を潜め、演出の仕方から線の作り方まで変化が見て取れる。なんだか「正統派」に挑んでいる印象もあります。

スイッチ総研『下北沢演劇祭スイッチ ~あなたの知らない本多劇場~』

「突然演劇システム」ことスイッチ総研が『下北沢演劇祭』に参戦。しかも下北・本多劇場の裏側を案内する1日限定開催のバックステージツアーとなれば行かない理由なし。チケットが即完売したあとに、平田敦子さんやナイロン100℃峯村リエさんの参戦が発表され、テンションが高まる。

スイッチ総研 - 下北沢演劇祭スイッチ

 

目の前で参加者巻き込み型の少人数向け芝居(一度に体感できるのは1人~4人ぐらい)が突如としてスタートする。数十秒という鑑賞者が冷静に俯瞰できないハイテンポで作られているので、あっけにとられて笑う事しかできない。異常な近距離で「芝居」に入り込まされるので、ドラマの配役に打ち合わせなしでねじ込まれたような気持ちになる(でもほっとくと終わるので安心して見れます)。あと、スイッチを押す時のドキドキした状態の人間ってこんなに無防備になるのか、という発見もあったり。

公演は、とにかくベタなギャグから豪勢なやつまで至れり尽くせりで感無量。本多劇場がバックステージを開放するのは1982年の開場以来初めてとのこと。楽屋から裏通路、男子トイレ、事務室まで巡らせていただいた。知らない人を含む4人組グループで参加するのですが、その知らない人たちとなぜか本多の舞台上にあがり、一列に並んで左手を胸にあてた瞬間(このときはこれが“スイッチ”)にスポットライトがあたり、どこかに隠れてたスタッフが全力でスタンディングオベーションって、いうのが最高に笑った。あれだけライトがあたると、客席って一切見えなくなるのね

やってること自体は子供から大人まで楽しめる単純なものですが、テンポや細かい気配りが本当によく考えられてる(しかもそれを感じさせない最高なやつ)なのでおすすめです。

康本雅子/スズキユウリ『視覚障害×ダンス×テクノロジー“dialogue without vision”』

入場無料のダンス公演『dialogue without vision』を見てきた。吹き抜けになっているKAAT神奈川芸術劇場の広いエントランススペースを舞台にした「視覚障がい者」によるダンス公演、というのが前知識。

www.cinra.net


舞台は10メートル四方程度の広さで、客席との段差はない。隅には蛍光色に近いピンクの縁取り。ダンサーは6人。ダンスのディレクション康本雅子さん、公演に使われるデバイスをスズキユウリさん、音楽をイトケンさんが担当していて、年配ではなく30代あたりがターゲットの「尖った」公演になることがうかがえる(ちなみに鑑賞者は写真と動画の撮影が可能)。

公演は20分程度。四方から音がする中で「ダンス」というより、身体の衝突から生じるコミュニケーションが展開される。指先の細かい触角のような動き、ひっくり返ったり、引っ張りあったり、一見すると子どもの動作のように見える振付に康本さんらしさを感じる。

注目すべきところは使われているデバイス(服や身体にセンサーがついており、触れると音が鳴ったりする)なのだけど、それよりも目が見えない人にどうやって振付を教えるのか、そして2人一組で踊っている彼らはどのような手段で相手の位置を察しているのか、そんなことばかり考えてしまう。

とはいえそんな些細なことよりも、ダンサーの「うれしい顔」が印象に残った。普段は必要以上に迷惑をかけないために、無意識化ですら制限されている「運動」に思う存分取り組めることへのよろこびが顔に表れている(なお、ダンス自体はかなりラフなものになっている)。鑑賞者を意識した笑いではなく、体を思う存分に動かせていることに対しての感情のように見えた。鑑賞者が「一緒に楽しませてもらっている」ように感じるダンスははじめて観たし、これから先もあまり見られないと思う。

余談1
終演後に配布された出演者紹介のチラシを見て、自分の勉強不足っぷりを再認識する。少し考えればわかるのに「視覚障がい者全盲、あるいはそれに近い人」と勝手に思い込んでいた。もちろん視覚障がいには様々な種類があり、今日のダンサーだけでも「中心部にノイズがかかっていて小さい文字は読めないが歩く動作などに支障はない」「チカチカした光の残像が常に見える」「中途失明(生まれつきではない)で光の明暗はわかる」「視界が狭いが中心部は良く見える」と多種多様な見え方の人がいた。

余談2
ダンサーの中で中心を担っていた加藤秀幸さんは佐々木誠監督の映画『INNERVISION インナーヴィジョン』のメインキャストの方だ、と見てる途中で気づいた。