たかみち「百万畳ラビリンス」

百万畳ラビリンス(上) (ヤングキングコミックス)

表紙をざっと見て、作品説明をざっくり読んで、思いついたストーリーは「閉じ込められちゃった不思議な世界から男女2人が協力して脱出を目指しつつ、なんやかんやで色恋の流れが発生する甘酸っぱいやつ」的なもの。そんな先入観で手に取ったら、いい意味で裏切られてしまった。恋愛の要素とかほぼなかった。

バグが大量に発生している世界に意味もわからずに飛ばされ、その謎を解いて進む&襲いくる謎の敵を倒す、といったゲームみたいなダンジョン攻略が漫画というフォーマットで展開されていく。「ゲームあるある」がふんだんに散りばめられているので、安直にそこに乗るだけでも読みがいはあるけど、そのキャッチーな部分だけ拾って終わらせるにはあまりにもったいない。

この手の脱出モノなのに挑むのは女二人(上巻表紙右のキャラも女性である)という設定が、この作品をただの「ゲームあるある漫画」で終わらせないからくりになっている。恋愛漫画のヒロインみたいな見た目の礼香の行動を追うと、容姿とはちぐはぐな人物像が徐々に浮かぶ。彼女は「素直で心優しい人間=美人キャラ」というこれまで読者が積み上げてきた無意識の前提をやさしく自然に打ち砕いてくれる(脳内でオタクっぽい外見に変更しても全く違和感がない)。アイコンとして重要である「見た目と内面の親和性」と取り払うと、そこには最終的に「内面」だけが残ることに気付かされるし、そのギャンブルを犯してでもその設定に対して作者が意味を見出してることに好感を持つ。

対する庸子(斧もってるほう)は「ひょうひょうと行動していく礼香」の観察者であり、放っておけば気持ちよくどんどんと読み進めてしまうだけの読者の思考を、その見た目の違和感によってストレスなく足止めしてくれる。ステレオタイプなキャラクターは読む速度を速め、読者層を広められることは間違いないので、そこを裏切るのは勇気がいることだ(普通は編集者に止められると思うので連載誌が「ヤングコミック」だったからこそできたのか)。

作品全体的に過剰なノリツッコミや演出が少なく、キャッチー要素になっている「ゲームあるある」よりも、読み方によってはこの二人の内面性を読み解く話になる側面があり、むしろそっちに魅力を感じた(私はあまりゲームあるあるにピンとこなかったのでその印象が顕著だった)。

とはいえ、そんなややこしいことを考えずとも十分キャッチーな作品なので軽く読んじゃうのもよし。アニメにも向いている作風なので、何かしらそういった発表があるのも時間の問題かと。

百万畳ラビリンス(上) (ヤングキングコミックス)

百万畳ラビリンス(上) (ヤングキングコミックス)

 
百万畳ラビリンス(下) (ヤングキングコミックス)

百万畳ラビリンス(下) (ヤングキングコミックス)

 

施川ユウキ「オンノジ」

オンノジ (ヤングチャンピオン・コミックス) (ヤングチャンピオンコミックス)
一人取り残された女の子・ミヤコと「ちょっと変な世界」の4コマ漫画。自分以外の人間が誰もないという絶望的な設定でギャグ(それもすごいゆるい)が続く。「狂った世界をポジティブに楽しもう!」と、改めて字面に起こすと不安要素しかないのだけれど、キャラの思考と行動はむしろその逆をゆく。

あんまりにもミヤコが呑気なので、それにつられてヘラヘラ読んでいると、黒ベタ背景&文字のみのシリアスなコマ(主に各話の最後)が現れるたび「そうだった、そういう話だった」といちいちふりだしに引きずり戻される。短期間に心もちが「のほほん⇔シリアス」を往復すると、読み手としての立ち位置(テンション)がわからずにいい意味で混乱するのだけど、読んでいるのは間違いなくギャグ漫画なのでとりあえず感情として「笑」状態になる。この不安定さを良しとするかどうかが好き嫌いの分かれ目だろう。

タイトルの「オンノジ」は、主人公の女の子が途中で出会う「不思議な生き物」のことなのだが、ちょっと「思ってたんと違う」設定で驚いた。正しくはその設定にではなく「漫画に出てくるよくわからないキャラってだいたいこんな感じ」というつまらないステレオタイプが自分の中に出来上がっていたこと、に驚いた。

原泰久「キングダム」

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

あえて書くまでもなく当たり前だけど、音楽とかお笑いとか食べ物や育ってきた環境と同様に、漫画も人によってツボが違う。自分が面白いと思った作品が、万人に受け入れられるわけがない。

自分の趣味の一環で、友だちや同僚に漫画を貸したりあげたりしている(嫌がられることもしばしばあるが)。貸した漫画に対して「よくわからなかった」と言われても問題なんて全くなくて、むしろ「わからない」ということがわかったのが収穫だったりする。

映画好きの同僚が口にした「面白くない映画なんてない、自分がその楽しみ方を知らないだけだ」という格言がある(うろ覚えだけど意図は違いない、はず)。そんなことを思い出したのは「キングダム」の途中まで読んだあたりで、読む前からしていた嫌な予感が的中する。「歴史モノ」の漫画を楽しむ才能が自分に無さすぎる。

中国の春秋戦国時代を背景に、大将軍を目指す少年が後の始皇帝となる少年と戦乱の世で成り上がっていく話。キャラもいい、ド派手な戦闘シーンもいい!、心理戦もいい!! 何も問題ない良作! ...なのだけれども、自分の時代背景の知識の無さや、地理のあまりの弱さが、読了感にいやな後味となって付きまとう。そんな余計なことなど考えなければいいのに「これ、みんな私よりもっと楽しく読めてるはずだ...!」という貧乏根性が顔を出す。

こういうときはもう自分の観点で楽しむしかない。昔の話(どうです、この曖昧さ)につきものなのが「女性キャラをどうするか」で、それが少年漫画や青年漫画であればあるほどおろそかになることが多いのですが、「役割がよくわからん何かの引き立て役的な女性」がいないのがいいな~、と。例えば、とりあえず絵面を保つために存在しているバスケ部の女子マネージャーとか、日本一の剣豪を追いかける幼馴染の女とか、がいないのがいい(例え話です)。以上!

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

すぎむらしんいち「ホテル・カルフォリニア」

ホテルカルフォリニア (上) (Best sellers comics)

映画化を願っている漫画がいくつかある。それは「映画化したら面白そう」という類のものではなくて、話の組み立て方がまさに映画、各エピソードの終わり方が映画、余韻が映画、とにかく全部が映画の要素で組み立てられている、そんな漫画。

その中のひとつが、1992年にヤンマガで連載されていた「ホテル・カルフォリニア」です。すぎむら先生は原作付きの作品がけっこうな割合であるのですが、自分でエピソードも手掛けるととんでもない方向に向かっていく傾向があります(主にギャグ方面)。その点この作品はハードボイルドさと適度なギャグ、そしてエロ(これ大事!)の割合がとても好みのタイプ。主に野郎に安心して進められるタイプの漫画です。

 

話は変わりまして、普段の仕事で届いたメールの件名に「ホテル・カルフォリニア」を見つけたときは(業務上、映画化発表などの案内がよく届くのです)、思わず頭の中で「ついに、ついに映画化……!」とテロップが流れた。あとちょっと小踊り。

そんでニコニコしながらメールを開いたらまさかの「舞台化」発表であ然。あの内容を舞台化? 北海道の山奥でヤクザと女と大麻を巡ったハードボイルドな面白活劇が舞台化?? 熊が大暴れするシーンとかどうするの??? つうかてっきり大麻の部分がネックで映画化できないものだと思っていたのだけど、舞台なら記録に残らないからいいのだろうか、よくわからない……。

と数か月にわたって放心していたら、いつの間にか舞台は千秋楽を迎え(見に行ってはいない)、外が寒いとか花粉が飛びはじめたとかぼやいているうちに今度は「ディアスポリス」のドラマ&映画化が発表されていた。

違う! そっちもいいけど誰か早く「ホテル・カルフォリニア」の映画化をお願いします! この際もうWOWOWの連続ドラマあたりでもいいから誰か!!!

 

ちなみに書籍は中古しか入手できないですが、Kindle版があります。

高野雀「低反発リビドー」

低反発リビドー (ゼノンコミックス)

初の単行本「さよならガールフレンド」も大好評(身の回りの絶賛っぷり半端ないし、それに互いない面白さ)の高野雀先生によるショートショート「性癖」漫画。1話が5P前後なのでざくざく読める。

全1巻に30話。勝手に「性癖図鑑」的ものを期待して読んだらちょい違った。もちろん「匂いフェチ」「女装」「縛り」のような「フェチあるある」も出てくる。でも実態は、ステレオタイプな言葉に落とし込むと安っぽくなってしまう「グッとくる事柄」を伝えようとする会話の断片で、性癖というデリケートな題材をステレオタイプな形式ではなく、断面から見るような気もちにさせてくれる、まるで性癖の金太郎飴のような良質の会話劇だった。

たとえば、中にはただた単に男数人が集まって酒を飲んでいるダベってるだけの話もあって(しかも野郎ども、話の結論がちゃんと出せないあたりが最高)、理屈臭い視点でいうと「オチがない(落とす必要がない!)ゆえに発生する気軽さ」、ヘラヘラ視点だと「みんな違ってみんなかわいい〜」というところか(もちろんそう魅せているのは高野先生の力である)。

ちなみにそれぞれ1話で取り上げている性癖を30Pぐらいに掘り下げて描こうとすると、生々しさ&深刻さを伴う読者層の狭いやっかい漫画に豹変してしまうので、このページ数のさっくり感&サバサバした会話は改めてものすご〜く好ましい。あと、食指が動かないエピソードは「へ〜」ぐらいの気持ちで読み進んだらいいと思った。たぶんそこに「興味がない」っていうことが、他人からすると「信じられない」ことかもしれないし、同時にそういえば人の性癖なんて自分には大半がどうでもいいことだな〜って初心(でも性癖の初心って何?)に戻ったりもできる。

あと、すべてのエピソードがみんな唐突な流れなのにさりげなくはじまったように錯覚させられるのは、漫画という枠組みが活用されているところで、これを映像でやるとコントみたいになってしまいそう(たぶん小説でも枠組みとしてはOKなのではないか)。そういう漫画でしか作れないテンポも、すごくよい作品。

低反発リビドー (ゼノンコミックス)

低反発リビドー (ゼノンコミックス)

 

テスト・サンプル05「ひとりずもう」

サンプルによる実験公演「テスト・サンプル」。今回は主宰の松井周さんと所属俳優がそれぞれタッグを組んで作った「一人芝居」5作品が上演された。とりあえず松井さんが役者として出てくる公演はできる限り見に行くようにしているので速攻でチケット確保しました。

 

内容は、不動産仲介業者の一人芝居から浮き彫りになる「内見あるある」、松井さん自ら演じる学校教師の妄想の暴走から狂っていく三者面談、際どい時事ネタを盛り込んだ一人謝罪会見などなど。一人芝居であることを観ているうちに忘れられる演技力はもちろん(そこは当たり前っていう前提はうれしいことなんです)、短い上演時間でありながら脚本にしっかりと盛り込まれた違和感と話の切り返し(サンプルの実験公演をあえて観に来てる客にストレート球を投げても確かにダメ)、そして細かいエロ要素と豪快な下ネタが合体した波状エロ攻撃。本公演より気軽に観られるキャッチーな内容で、下手なコントより楽しめるところがうれしい。最近観た中でもやっぱりトップクラスに面白い。

作り方の部分まで突っ込むと、本公演と同様にエチュードで脚本が作られており、役者から松井さんにテーマが出され、それを1回2、3時間のやりとりで膨らませてそこから最終的な形に落とし込む、という方法が取られている。アフタートークで松井さんが言っていた「人間の反応に重きを置いている」が体現されているのだけど、それでいて表面上がキャッチーに仕上がっているのが最高。


ちなみにサンプルは知らなくても、所属団員の古舘寛治さんに見覚えはありませんでしょうか? 映画やドラマではキャッチーな役所が多いけど、サンプルの公演では救いようもない自己中&極悪スケベじじい役ばかりで、私はとても好きです。

眉月じゅん「恋は雨上がりのように」

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

表紙に登場するかわいい女子高生・あきらの目線を中心に描かれる恋愛漫画。ただし、彼女の思い人はバイト先のさえない店長(45)という少し変わった設定。

ギャグ漫画的なノリを想像して読んだら、至極まっとうな恋愛漫画だったので驚く。しかも掲載誌が「ビックコミックスピリッツ」(月刊から隔週に掲載誌の変更があったとのこと)だったのでもういっちょ驚く。

中年の男性読者は「なんで俺のこと好きなの?」と疑問を抱く店長の心に自分をかさねて読むのでしょうが、おそらく女性はあきらに対して「なんで店長なの?」と疑問をもって読むのではなかろうか。読み手の視点が違ってもこの二人の行く末という目標があるから、色んな読者が手を取って見守ることができるのがいいところで、このバランスを保てる読者層の広い恋愛漫画っていうのは貴重な気がする(とはいえ恋愛漫画は苦手ジャンルなのであくまで想像ですが)。

余談
このマンガがすごい!2016」の「オトコ編」上位に食い込む恋愛漫画は、けっこう警戒して読みはじめることが多いのですが(女の子が弱い存在として描かれている作品が多く、高確率で読んでてげんなりしてくる)、これは完全に気苦労でした。女性にも安心して薦められる変化球恋愛漫画

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)