入江亜季「乱と灰色の世界」

 

乱と灰色の世界 1巻 (BEAM COMIX)

唐突に、自分の脚がちゃんとあるか確かめたくなる瞬間というか癖がある。とりあえず、つま先を地面に何回か打ちつけてみたりする。その大半が電車で揺られているときのことで、不安に駆られるのではなく「そういえばちゃんとあったっけ」ぐらいの気もちでやってくる。

そのあとは、右手の平を首の後ろにあてて、ほんの少しだけ左右のいずれかに回し、首の骨が軋むのを確認する。そうしてぼんやりと「あ、ちゃんとここに居るな」と実感がやってくる。この営みがいつ頃からはじまったのかはわからないが、これは私なりの「空虚感」からの離脱方法なのだろう、と思っている。

「空虚感」というものは現実世界はもちろん、漫画の世界でもなかなか理解しえない心の動きだ。そもそも人と共有できる類の代物ではなく、ほとんどが個人の日常や、あるいは強烈な出来事の陰に潜んでいる。誰かに話して理解されるものではないし、せいぜい個人の日記の中に留めることしかできない種類の感情である。

…と、思っていたのだけど「乱と灰色の世界」を読んだら、主人公の虚無感に同調して飲み込まれてしまった。物語のはじまりは、主人公(大人の姿に変身できる小学生魔法使い)とその一家を取り巻く鮮やかな魔法の描写(絵柄からにじむ圧倒的な楽しさ!)に魅せられていたのだけれど、途中からいつのまにか彼らの暮らす世界の温度が一転する場面に、読み手として立ち会うことになる。話の雲行きも変わり「あれ?」と手に持っていた本を裏に返すと、5巻から表紙のテイストがこれまでと変わっている(全7巻で完結済み)。それまでは「世界」が描かれていたのに、5巻以降は主人公がメインになる。作品そのものも一気に解像度の種類が変わり、手の中で展開する景色は、すっかりと一変してしまう。

1巻のamazonレビューの中で「キャラがかわいいけどストーリーとしてどこを目指すのかわからない(大雑把な要約)」という意見を見つけ、私自身も「ま、そういうもんだろ」と思っていたのだけど、よく考えると生き生きとしたキャラクターと華やかな魔法の描写が売りの作品のタイトルが「灰色の世界」なのか(“乱”は主人公の名前である)。節穴というか、読み手として何にも考えないで面白さを享受するだけの怠惰なスタンスに我ながら呆れてしまった。

あらすじについて多くは語らないが(Google is your friend!)、自分の中でも大好物の「キャラクター成長もの」でこんな気持ちになるとは思いもよらず、むしろこんなことが漫画で可能なのかと、心底驚かされた。

乱と灰色の世界 1巻 (BEAM COMIX)

乱と灰色の世界 1巻 (BEAM COMIX)

 

近藤聡乃「A子さんの恋人」

A子さんの恋人 2巻 (ビームコミックス)

最近発売された2巻を読み、それまでは「面白いな~」ぐらいだったのが「大変だ! クッソ面白い!!!!!!」に位があがり、身の回りの人に見境なく貸しまくっている。今手元にない4冊と、これを書くのにあたり今買ってきた1冊をあわせて計5冊(1巻が3冊、2巻が2冊)を所有中。この只事ではないこの事態をどうにかして伝えたい所存。

主人公とは思えないほどぼんやりした地味な女ことA子、人の懐にうまく入り込む調子のいい駄目男ことA太郎、性格の悪いインテリ眼鏡アメリカ人のA君(この二人がA子と「一応」付き合っている)、その他女3人(モテるが性格が悪いU子、真面目でモテないK子、自分のことを名前で呼ぶ女ことI子)の恋愛群像劇。全員そろって29歳。

キャラ立ちが面白いのはもちろんだけど、コマ割りや画面を埋める白と黒のバランス、ミニマルな描写なのに言葉を添える必要のない絵の説得力、そのすべてが美しい!(故にくだらないギャグシーンもなんだかとっても艶っぽい) 現代美術作家としても知られる近藤さんの底力が、漫画というフィールドで最大限に発揮されている。

帯や宣伝文句で煽られている「A子さんには恋人がふたりいる」というキャッチコピーの印象は、読み進めるたびに徐々に薄れ、この作品の面白さがそんな俗っぽいところじゃないところではないことにすぐ気づけるはず。いわゆる「あるある(こういう奴いるいる)」に頼り切るのではなく、描かれる心の動きの細やかな部分が、まるで酸素のように読み手の体内に入り込んで、じわじわと侵食される間隔がこそばゆい(でも自分の欠点に似ている描写が出ると、心の中で小さい絶叫が響きわたるのだが…)。

登場する5人は、全員がレッテルを貼りやすい、いわゆるステレオタイプなキャラクターでありながらも、それぞれがしっかりと「面倒くささの集合体」として描かれている。「私はK子に似てる」ではなく、A子の優柔不断さも、A太郎のずるさも、A君の葛藤も、U子のわがままさも、K子の要領の悪さも、I子の視界の狭さも、おそらくほぼすべて何かしら身に覚えがある、愛おしい駄目さだ。今のところ身近な4人ぐらいからこの作品の感想を聞く中で「誰かれが好き」という感想はあれども「アイツは嫌い!」という声は耳に入ってこない。「みんな違ってみんないい」が深いところで嫌みなく描かれている、まさに奇跡的なバランス。

また、こういったアラサー特有の人生転換期を作品の背景にすると、どうしても「こじらせ」「妬み」といった負の感情がにじみ出てきて、読み手をどんどん疲弊させることが多いのだけど、そういったストレスがほぼ発生しないのがありがたい(ちなみに最近だとそれが顕著なのは東○○○○先生の「○○○○○○娘」である)。これだけ「いい性格」の悪い人間がわんさか出てくるのに、そこが軽減されているのは、「絵」の力もあるだろうけど、近藤さんが「人の嫌がることをわかっている」からこそではなかろうか、というのが個人的な考えだ。

あと2千万字ぐらい褒め称えられるけど需要がなさそうなのでやめ。もし「1巻は読んだし、面白かった」という人がいたら迷わず2巻を読むべし。1巻は(おそらくだが)近藤さんも色々模索して描いているので、読み手との距離が若干遠いのだけど、2巻になるとそれがぐっと近づいてきてすごく楽しい。あと2巻は間違いなく「A君の見せ場」なので、A君推しの女性読者は必読である(A太郎みたいな阿保を死ぬほど知ってるので(主にバンドマン)個人的には全然惹かれない~!!)

コミナタのインタビュー(1巻発売時)が素晴らしいので最後に貼っておきます。

田島列島「子供はわかってあげない」

子供はわかってあげない(上) (モーニング KC)

去年、読んだ後にSNSに投稿していたテキストが私の感想の大半を物語っていたので転載します。自分のテンションの高さが異常。あとこれが田島列島さんのデビュー作だったのほんとに驚いた。

読み終わったあとの寂しさがありつつ、1、2巻じゃなくて上下巻であることがうなづける幸せかつ、続きを求めたくない華麗なフィニッシュ。扱ってる題材はハードなのにそれを武器にしない味付けと繊細で愛らしい展開。そして読み手がうっかり忘れたあとのボーイミーツガール。あとすんげえ細い笑いの殴打。マーベラス!!!!!

子供はわかってあげない(上) (モーニング KC)

子供はわかってあげない(上) (モーニング KC)

 
子供はわかってあげない(下) (モーニング KC)

子供はわかってあげない(下) (モーニング KC)

 

たかみち「百万畳ラビリンス」

百万畳ラビリンス(上) (ヤングキングコミックス)

表紙をざっと見て、作品説明をざっくり読んで、思いついたストーリーは「閉じ込められちゃった不思議な世界から男女2人が協力して脱出を目指しつつ、なんやかんやで色恋の流れが発生する甘酸っぱいやつ」的なもの。そんな先入観で手に取ったら、いい意味で裏切られてしまった。恋愛の要素とかほぼなかった。

バグが大量に発生している世界に意味もわからずに飛ばされ、その謎を解いて進む&襲いくる謎の敵を倒す、といったゲームみたいなダンジョン攻略が漫画というフォーマットで展開されていく。「ゲームあるある」がふんだんに散りばめられているので、安直にそこに乗るだけでも読みがいはあるけど、そのキャッチーな部分だけ拾って終わらせるにはあまりにもったいない。

この手の脱出モノなのに挑むのは女二人(上巻表紙右のキャラも女性である)という設定が、この作品をただの「ゲームあるある漫画」で終わらせないからくりになっている。恋愛漫画のヒロインみたいな見た目の礼香の行動を追うと、容姿とはちぐはぐな人物像が徐々に浮かぶ。彼女は「素直で心優しい人間=美人キャラ」というこれまで読者が積み上げてきた無意識の前提をやさしく自然に打ち砕いてくれる(脳内でオタクっぽい外見に変更しても全く違和感がない)。アイコンとして重要である「見た目と内面の親和性」と取り払うと、そこには最終的に「内面」だけが残ることに気付かされるし、そのギャンブルを犯してでもその設定に対して作者が意味を見出してることに好感を持つ。

対する庸子(斧もってるほう)は「ひょうひょうと行動していく礼香」の観察者であり、放っておけば気持ちよくどんどんと読み進めてしまうだけの読者の思考を、その見た目の違和感によってストレスなく足止めしてくれる。ステレオタイプなキャラクターは読む速度を速め、読者層を広められることは間違いないので、そこを裏切るのは勇気がいることだ(普通は編集者に止められると思うので連載誌が「ヤングコミック」だったからこそできたのか)。

作品全体的に過剰なノリツッコミや演出が少なく、キャッチー要素になっている「ゲームあるある」よりも、読み方によってはこの二人の内面性を読み解く話になる側面があり、むしろそっちに魅力を感じた(私はあまりゲームあるあるにピンとこなかったのでその印象が顕著だった)。

とはいえ、そんなややこしいことを考えずとも十分キャッチーな作品なので軽く読んじゃうのもよし。アニメにも向いている作風なので、何かしらそういった発表があるのも時間の問題かと。

百万畳ラビリンス(上) (ヤングキングコミックス)

百万畳ラビリンス(上) (ヤングキングコミックス)

 
百万畳ラビリンス(下) (ヤングキングコミックス)

百万畳ラビリンス(下) (ヤングキングコミックス)

 

施川ユウキ「オンノジ」

オンノジ (ヤングチャンピオン・コミックス) (ヤングチャンピオンコミックス)
一人取り残された女の子・ミヤコと「ちょっと変な世界」の4コマ漫画。自分以外の人間が誰もないという絶望的な設定でギャグ(それもすごいゆるい)が続く。「狂った世界をポジティブに楽しもう!」と、改めて字面に起こすと不安要素しかないのだけれど、キャラの思考と行動はむしろその逆をゆく。

あんまりにもミヤコが呑気なので、それにつられてヘラヘラ読んでいると、黒ベタ背景&文字のみのシリアスなコマ(主に各話の最後)が現れるたび「そうだった、そういう話だった」といちいちふりだしに引きずり戻される。短期間に心もちが「のほほん⇔シリアス」を往復すると、読み手としての立ち位置(テンション)がわからずにいい意味で混乱するのだけど、読んでいるのは間違いなくギャグ漫画なのでとりあえず感情として「笑」状態になる。この不安定さを良しとするかどうかが好き嫌いの分かれ目だろう。

タイトルの「オンノジ」は、主人公の女の子が途中で出会う「不思議な生き物」のことなのだが、ちょっと「思ってたんと違う」設定で驚いた。正しくはその設定にではなく「漫画に出てくるよくわからないキャラってだいたいこんな感じ」というつまらないステレオタイプが自分の中に出来上がっていたこと、に驚いた。

原泰久「キングダム」

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

あえて書くまでもなく当たり前だけど、音楽とかお笑いとか食べ物や育ってきた環境と同様に、漫画も人によってツボが違う。自分が面白いと思った作品が、万人に受け入れられるわけがない。

自分の趣味の一環で、友だちや同僚に漫画を貸したりあげたりしている(嫌がられることもしばしばあるが)。貸した漫画に対して「よくわからなかった」と言われても問題なんて全くなくて、むしろ「わからない」ということがわかったのが収穫だったりする。

映画好きの同僚が口にした「面白くない映画なんてない、自分がその楽しみ方を知らないだけだ」という格言がある(うろ覚えだけど意図は違いない、はず)。そんなことを思い出したのは「キングダム」の途中まで読んだあたりで、読む前からしていた嫌な予感が的中する。「歴史モノ」の漫画を楽しむ才能が自分に無さすぎる。

中国の春秋戦国時代を背景に、大将軍を目指す少年が後の始皇帝となる少年と戦乱の世で成り上がっていく話。キャラもいい、ド派手な戦闘シーンもいい!、心理戦もいい!! 何も問題ない良作! ...なのだけれども、自分の時代背景の知識の無さや、地理のあまりの弱さが、読了感にいやな後味となって付きまとう。そんな余計なことなど考えなければいいのに「これ、みんな私よりもっと楽しく読めてるはずだ...!」という貧乏根性が顔を出す。

こういうときはもう自分の観点で楽しむしかない。昔の話(どうです、この曖昧さ)につきものなのが「女性キャラをどうするか」で、それが少年漫画や青年漫画であればあるほどおろそかになることが多いのですが、「役割がよくわからん何かの引き立て役的な女性」がいないのがいいな~、と。例えば、とりあえず絵面を保つために存在しているバスケ部の女子マネージャーとか、日本一の剣豪を追いかける幼馴染の女とか、がいないのがいい(例え話です)。以上!

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

すぎむらしんいち「ホテル・カルフォリニア」

ホテルカルフォリニア (上) (Best sellers comics)

映画化を願っている漫画がいくつかある。それは「映画化したら面白そう」という類のものではなくて、話の組み立て方がまさに映画、各エピソードの終わり方が映画、余韻が映画、とにかく全部が映画の要素で組み立てられている、そんな漫画。

その中のひとつが、1992年にヤンマガで連載されていた「ホテル・カルフォリニア」です。すぎむら先生は原作付きの作品がけっこうな割合であるのですが、自分でエピソードも手掛けるととんでもない方向に向かっていく傾向があります(主にギャグ方面)。その点この作品はハードボイルドさと適度なギャグ、そしてエロ(これ大事!)の割合がとても好みのタイプ。主に野郎に安心して進められるタイプの漫画です。

 

話は変わりまして、普段の仕事で届いたメールの件名に「ホテル・カルフォリニア」を見つけたときは(業務上、映画化発表などの案内がよく届くのです)、思わず頭の中で「ついに、ついに映画化……!」とテロップが流れた。あとちょっと小踊り。

そんでニコニコしながらメールを開いたらまさかの「舞台化」発表であ然。あの内容を舞台化? 北海道の山奥でヤクザと女と大麻を巡ったハードボイルドな面白活劇が舞台化?? 熊が大暴れするシーンとかどうするの??? つうかてっきり大麻の部分がネックで映画化できないものだと思っていたのだけど、舞台なら記録に残らないからいいのだろうか、よくわからない……。

と数か月にわたって放心していたら、いつの間にか舞台は千秋楽を迎え(見に行ってはいない)、外が寒いとか花粉が飛びはじめたとかぼやいているうちに今度は「ディアスポリス」のドラマ&映画化が発表されていた。

違う! そっちもいいけど誰か早く「ホテル・カルフォリニア」の映画化をお願いします! この際もうWOWOWの連続ドラマあたりでもいいから誰か!!!

 

ちなみに書籍は中古しか入手できないですが、Kindle版があります。