2016年11月23日(水・祝)

夜のバスタ新宿は初。深夜バスに乗って朝6時過ぎに仙台に着く。肌寒いとかじゃなくて明確に寒いが、天気が良いのが救い。仮眠を取ろうと漫画喫茶に入りかけてすぐに店を出る。調べたら1時間以内に出発しないと開館タイミングには間に合わない。目的地までのバス停を探し、出発まで近くのモスバーガーで朝食をとり、7時半頃に石巻行きのバスに乗る。最終的にこの日は24時間のうち4本、計16時間バスの中で過ごした。昨日も明日も仕事なので今晩には東京に帰る。

8時半に目的の石ノ森章太郎萬画館の近くまで到着。ここでやっている「ぼのぼの原画展」を見にきた。開館まで周りをふらふら。萬画館は海の近くにあるが、海岸まで歩いて20分くらいかかるため海は見えない。向かう途中に「この先 牡蠣小屋あり」の看板があって、看板から牡蠣小屋までの間には、原っぱと、あまり使い込まれていないきれいなバスケットコート。高い木は無く、大きな石碑が倒れている。遮るものがなにもなく風が強い。

9時に開館。原画展では、連載第一回の原画から表紙絵、単行本のパラパラ漫画、描いているところの動画などが、あまり広くないスペースにぎゅっと並べられている。作品を読むだけでは知ることができなかったことの宝庫で、表紙原画は実際の単行本よりもサイズが小さいこと、カラーの塗りは線が滲まないように白黒コピーしたものに施していること、ラッコを主人公にした理由のひとつが「ラッコが泳ぎの下手な不器用な動物」だということなどを知る。会場の入り口には、原画展に際してのいがらし先生のコメントがあり、ずっと宮城県で活動している同氏にとって仙台が子供の頃に馴染み深い場所であること、初開催となった原画展の地がここで本当にうれしいこと、などが綴られていた。

私の勝手な予想だけれど、これがいがらしみきお氏にとって最初で最後の原画展になる気がしている。何かの販促や祝いごとで自分を魅せようという発想があるタイプの作家ではない。30年間、仙台市で描かれた「ぼのぼの」という作品の原画展を、この石ノ森章太郎萬画館でやれるからこそ実現したのだと思っている。次の原画展があるとしたら、もう本人はこの世にはいないのではないだろうか。

2時間ほど悔いのないように見まわって、会場を後にする。石ノ森章太郎萬画館は宇宙船のような建物で、脚の生えた昆虫みたいに地上から浮いている。1階の天井高が8メートルもあり、5メートルの津波が寄せたにもかかわらず、5日間も臨時避難所として機能したという。次の目的地に向かうためにバス停を目指す途中、石巻で被害が大きかったという小学校について思い出して調べたら、今立っているところより8キロも、内地に位置していた。

バスでまた2時間を近くかけて仙台の市街地に戻る。次の目的地のせんだいメディアテークに着く頃には、開始時間の30分前でぜんぜん余裕がない。トークイベントの座席に着いてぼんやりしていると、隣にやってきた老夫婦がこれから何のイベントをやるのかと話しあっている。複合文化施設であるせんだいメディアテークは、図書館やギャラリーなどを備えており、建物を貫くように柱を貫通させるという独特な建築で作られている。初めて来たのだけれど一見しただけでこの場がしっかりと機能していることがわかるぐらい、様々な年齢層の人々で賑わっていた。そういえば、いいスペースには人が何となく集まってくる。ここでやっている展示の関連イベントなのだから老夫婦も全く趣旨を知らないわけではないだろうけど、誰が対談相手なのかどうかまでは把握してないらしい。

開始時刻になり、ここで今行われている写真展「まっぷたつの風景」の作者である写真家の畠山直哉さんと、対談相手であるいがらしみきおさんが会場入りする(このために宮城まで来た其の二)。さっそく、畠山さんがいがらしさんの大ファンで、大量のふせん紙が貼られた初期のいがらしみきお作品を携え、プロジェクターに作品を投影しながらいがらし作品の魅力を文字通り熱く語る。いがらしさんも「畠山さんは、彼が撮らなければ誰も知ることがなかったであろう光景を写す」と以前からファンだったことを明かす。対談依頼は畠山さん側からだったが、いがらしさんは快諾したという。

いがらしさんが最初に口を開いたとき、隣の老夫婦に「あ...」という表情が浮かんだのを見た。漫画家・いがらしみきお。本名、五十嵐三喜夫。1955年生まれ。24歳でデビューし、連載30年を迎えるヒット作「ぼのぼの」をはじめ、初期のエログロで不条理な4コマ、2005年以降はそれまでの画風を一変させた「Sink」「I【アイ】」「誰でもないところからの眺め」といったストーリー漫画などを発表している。幼少期から難聴をわずらい、自分以外の周りの人が「わかること」が「わからない」という事実が、氏の人生観や作風に大きな影響を与えているという。作品の原動力の根底には「怒り」がある。はじめて生で話すのを聞いたが、やはり話し方にかなり癖がある(私の父もかなり耳が悪く、既に補聴器なしでは片耳がほとんど聞こえないのだが、話し方はごく普通だ)。

正直、聞き取りやすい話し方ではない。2015年に放送されたWOWOWのドキュメンタリーでいがらしさんが話すのを見ていたのもあり、トークショーをやると聞いて驚いたのを覚えている。これまでにサイン会の開催はあったが、トークショーを積極的にやるタイプの人間でないのは明らかだ(あとで調べたら全くやっていないということはなかった)。でもそれでも話してくれるのが一ファンとしてうれしい。この日のトークは、いがらしさんと畠山さん、司会の女性、それといがらしさんの「暴走を止める係」として長い付き合いになる熊谷さんという男性が登壇していた。

ともに東北出身の二人を中心にしたトークは2時間以上におよび、ほぼ初対面だとは思えないほどに互いの懐に飛び込む(主にまったく遠慮なしのいがらしさんが)、スリリングな、見ているほうがひやひやするような対話だった。子どもの頃に幼い友人が溺れたのにすぐに助けに動くことができなかったという畠山さんの話を聞いたいがらしさんが、震災後に故郷の陸前高田を長い期間にわたって撮影している畠山さんに対して「助けられなかったということについての一種の贖罪かもしれない」と語り(畠山さんはこのトークの最中に3回ほど絶句をする。そのときの表情を私は忘れることができないいだろう)、東日本大震災が起きた後に震災をフィクションとして漫画で描いた(「I【アイ】」には津波のシーンが描かれている)ことについては「描かないということはありえなかった」と話す。アートと社会の関係性について言及したクレア・ビショップの著書「人工天国―現在の風景に何をみるのか?」をきっかけに「人工天国―現在の風景に何をみるのか?」と題されたトークの終盤で交わされた、「1年間で120万人が交通事故で死ぬ。問題はそれが起きているということもそうだけど、我々が“そうなんだ”と受け入れてしまうことでもある」という話などは、「俯瞰した尊大な視点で」作品を作ることを自らも認めている二人ならではの対話だった。

対談後に「まっぷたつの風景」を見る。これまでの代表作からテーマである「風景」に焦点を当てた展示だが、陸前高田を写した大量のコンタクトシートがやはり印象に強く残る。会場を回っていたら、いがらしさんを見かけたが、こういうときにどう話しかけていいのかよくわからない。名乗る者でもないし。もうこんな機会もないかもしれないのに、それでも屈託なく話しかけたりできない。

1時間ほど展覧会を見て、バス亭まで小走りで戻る。狭い車内で寝るのは得意で、起きたらまた新宿だった。

 

ぼのぼの原画展

対談2:いがらしみきお(漫画家)×畠山直哉「人工天国ー現在の風景に何をみるのか?ー」|せんだいメディアテーク