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10年目のごあいさつ

去年の秋頃からうすうすそんな気はしていたけど、この3月で入社してから10年経った。入社日は初旬だったように思うけど覚えていない。有給消化もせず、ほぼ入れ違いで入社したのではなかったか、どうだったか。やっぱり全然覚えてない。

入社時の職種は前職と同じウェブデザイナーだったのに、入社数か月の頃に社長から「ニュースサイト立ち上げるからそこでニュース書かない?」とかなんとか言われ、私もそれを承諾したのだけど、当時何を考えていたのかよくわからない。仕事で文章書いた経験もなければ、社内にそういう先輩がいたわけでもない。ノウハウもなかった。

入社する以前から社長とは個人仕事でウェブ制作してたから、なんとなく互いに「こいつ実はデザイナー向いてないな~」という雰囲気だけは共有していたのではないか、今思うと。自分の成果物に対してクライアントが大きなお金を払うだけのものを作ってる自信もなかったし、そもそもデザイナーになったのも、昔はウェブサイトってダサいのばっかりで「だったら自分で作ったほうがまだいいかな」と、友だちバンドのウェブサイトを作るのと同じ感覚で仕事にしたのだけど、数年経ったらそこそこにかっこいいウェブサイトなんて誰でも作れるようになってて、なんか別に私がやらなくてもいいか、という気持ちになってしまったのが原因だったり。

それで突然「ニュースサイトはじめる」と言われたときに何となく承諾したら「じゃあ、デザインとシステムは任せた」ってなって。これもまったくどうやったのか覚えてないのだけど、外部のシステムの人とギャーギャー言いながら、デザイン作ってシステム組んでもらって、体制も整わないままニュースサイト的なものをはじめてみたのだった。

当時は編集長と私しかサイト運用にかかわってる社員がいなくて、ニュース執筆も友だちに外注&内製でこなしていたから、私&友だち数十人みたいなはちゃめちゃな体制だった(会社の名誉にかけて補足すると数年後には内製だけになりました、さすがに色々無理だった)。プレスリリースをどうやってもらったいいのかわからないし、誰も正解など知らないし、私の教育係もいないし。よく考えると結局誰からも文章の書き方なんて教わらなかった。編集長は企画系の担当だったので、ニュースに関しては私の独壇場だったのだけど、なんとかなっていたのだろうか。よくわかんない。当時のことはやっぱり覚えていない。

苦労話はあまりしたくないけど、運用が自分一人でしかも受託の仕事(デザインもまだやってた)もあり、当時ニュースも一人で回してて、最初の数年間は修羅としか言いようがなかった。でも当時は若かったし「ここで自分が倒れたら全部終わる」というだめな使命感と気合いでやっていた、ような気がする。運用の仕事が21時ぐらいに落ち着くので、そのあと夜中まで受託仕事をやる、みたいな日々。土日も関係ないし、外の人にはそんな運用体制だなんておおっぴらには言えないし、当時は「外から見ると大きいロボットなんだけど、実際は一人で操縦とメンテナンスしててそれを誰にも言えない」ような感じだった。

ただ、そこまでボロボロだったのは最初の数年だけで、その後は順調に人も増えて今はそれなりの人数になりました。ありがたい。有給とかも取れちゃう。2年前ぐらいからいわゆるデスクになったので原稿もほぼ書いていない。仕事内容的にそこまで劇的に楽にはならないのだけど、まあそこそこやれている感じがする。

そういえば私がほぼ原稿を書かなくなったとき、チームの子に「たまには原稿書かなくて大丈夫ですか?」と聞かれて、私が「書くの嫌いだから別にいいよ」って答えたら「はい?」みたいな顔をされたのを覚えてる。自分でもそれでよく10年弱やってたな、って思うんだけど原稿書きが楽しかったことは一度もなくて、情報のアウトプットに必要だったから作ってただけだった(あ、でも記事タイトル大喜利は好きだった。いくつも案を作って戦わせるのは好き)。

自分にしかできない仕事をしたい、というありがちな気もちは皆無で、むしろ必要なのに誰もやっていないことがあると、自分でもよくわからないのだけどそこに係らないといけないような気もちになる。そういえば社長からの「ニュースやらない?」の声がけも、Twitterとかで気が狂ったように身近なイベント情報を紹介していた私のことを見かねてのものだった気がする。その当時(今もだけど)、友だちに映像作家とか劇作家とか役者とかバンドマンとか美術作家とかいっぱいいて、みんな一生懸命なのに世の中には全然そういうことが広まらなくて、その状況にめちゃくちゃイライラしていたように思う。それぐらいかな、この仕事やってた理由って。

で、ここ数か月で「あ、このサイトいい感じに回ってるな~」って思うようになって、ということはもうやらなくてもいいな、と思いはじめてきて。そしたらちょうど社長が10年前みたいにやってきて「別の仕事やってみない?」と言ってくれたので乗ってみることにした。というわけで4月から別職種なんですけど、これがまた今までのキャリアとか一切関係ないし、何をやったらいいのかも皆目わからないし、社内にノウハウもないし。ただ「あー、それは確かに必要だし、今の社内の人間でやるなら私か」と思ったのでまあ大丈夫かな、と。

長くなりましたが、今の会社に居てありがたいな~と思うことは、まだ全体的に不器用な会社だけど、理不尽な人間関係とかくだらないいじめとかなくて(まあみんな年も近いし、社長も私と1歳違いだし)、私みたいなすさまじく使いづらい人間のこともどうにか考えてくれるところとかあ、と。私だったら新しい職種の希望で「予算なし、クライアントワークなし、デザインなし、編集なし、できれば外部の人と会わなくて、あと難しくないやつ」とかいう社員が居たらとりあえず蹴っ飛ばすな~。蹴っ飛ばされなくてよかった。

余談:
この仕事やってる中で2つほど「こうなったら辞めよう」って思ってたことがあって。ひとつは日々届く色々なご案内に敬意を持てなくなったとき、もうひとつは何か変な業界人意識とか生まれちゃったとき。とりあえず両方とも該当しなくてよかった。

2016年11月23日(水・祝)

夜のバスタ新宿は初。深夜バスに乗って朝6時過ぎに仙台に着く。肌寒いとかじゃなくて明確に寒いが、天気が良いのが救い。仮眠を取ろうと漫画喫茶に入りかけてすぐに店を出る。調べたら1時間以内に出発しないと開館タイミングには間に合わない。目的地までのバス停を探し、出発まで近くのモスバーガーで朝食をとり、7時半頃に石巻行きのバスに乗る。最終的にこの日は24時間のうち4本、計16時間バスの中で過ごした。昨日も明日も仕事なので今晩には東京に帰る。

8時半に目的の石ノ森章太郎萬画館の近くまで到着。ここでやっている「ぼのぼの原画展」を見にきた。開館まで周りをふらふら。萬画館は海の近くにあるが、海岸まで歩いて20分くらいかかるため海は見えない。向かう途中に「この先 牡蠣小屋あり」の看板があって、看板から牡蠣小屋までの間には、原っぱと、あまり使い込まれていないきれいなバスケットコート。高い木は無く、大きな石碑が倒れている。遮るものがなにもなく風が強い。

9時に開館。原画展では、連載第一回の原画から表紙絵、単行本のパラパラ漫画、描いているところの動画などが、あまり広くないスペースにぎゅっと並べられている。作品を読むだけでは知ることができなかったことの宝庫で、表紙原画は実際の単行本よりもサイズが小さいこと、カラーの塗りは線が滲まないように白黒コピーしたものに施していること、ラッコを主人公にした理由のひとつが「ラッコが泳ぎの下手な不器用な動物」だということなどを知る。会場の入り口には、原画展に際してのいがらし先生のコメントがあり、ずっと宮城県で活動している同氏にとって仙台が子供の頃に馴染み深い場所であること、初開催となった原画展の地がここで本当にうれしいこと、などが綴られていた。

私の勝手な予想だけれど、これがいがらしみきお氏にとって最初で最後の原画展になる気がしている。何かの販促や祝いごとで自分を魅せようという発想があるタイプの作家ではない。30年間、仙台市で描かれた「ぼのぼの」という作品の原画展を、この石ノ森章太郎萬画館でやれるからこそ実現したのだと思っている。次の原画展があるとしたら、もう本人はこの世にはいないのではないだろうか。

2時間ほど悔いのないように見まわって、会場を後にする。石ノ森章太郎萬画館は宇宙船のような建物で、脚の生えた昆虫みたいに地上から浮いている。1階の天井高が8メートルもあり、5メートルの津波が寄せたにもかかわらず、5日間も臨時避難所として機能したという。次の目的地に向かうためにバス停を目指す途中、石巻で被害が大きかったという小学校について思い出して調べたら、今立っているところより8キロも、内地に位置していた。

バスでまた2時間を近くかけて仙台の市街地に戻る。次の目的地のせんだいメディアテークに着く頃には、開始時間の30分前でぜんぜん余裕がない。トークイベントの座席に着いてぼんやりしていると、隣にやってきた老夫婦がこれから何のイベントをやるのかと話しあっている。複合文化施設であるせんだいメディアテークは、図書館やギャラリーなどを備えており、建物を貫くように柱を貫通させるという独特な建築で作られている。初めて来たのだけれど一見しただけでこの場がしっかりと機能していることがわかるぐらい、様々な年齢層の人々で賑わっていた。そういえば、いいスペースには人が何となく集まってくる。ここでやっている展示の関連イベントなのだから老夫婦も全く趣旨を知らないわけではないだろうけど、誰が対談相手なのかどうかまでは把握してないらしい。

開始時刻になり、ここで今行われている写真展「まっぷたつの風景」の作者である写真家の畠山直哉さんと、対談相手であるいがらしみきおさんが会場入りする(このために宮城まで来た其の二)。さっそく、畠山さんがいがらしさんの大ファンで、大量のふせん紙が貼られた初期のいがらしみきお作品を携え、プロジェクターに作品を投影しながらいがらし作品の魅力を文字通り熱く語る。いがらしさんも「畠山さんは、彼が撮らなければ誰も知ることがなかったであろう光景を写す」と以前からファンだったことを明かす。対談依頼は畠山さん側からだったが、いがらしさんは快諾したという。

いがらしさんが最初に口を開いたとき、隣の老夫婦に「あ...」という表情が浮かんだのを見た。漫画家・いがらしみきお。本名、五十嵐三喜夫。1955年生まれ。24歳でデビューし、連載30年を迎えるヒット作「ぼのぼの」をはじめ、初期のエログロで不条理な4コマ、2005年以降はそれまでの画風を一変させた「Sink」「I【アイ】」「誰でもないところからの眺め」といったストーリー漫画などを発表している。幼少期から難聴をわずらい、自分以外の周りの人が「わかること」が「わからない」という事実が、氏の人生観や作風に大きな影響を与えているという。作品の原動力の根底には「怒り」がある。はじめて生で話すのを聞いたが、やはり話し方にかなり癖がある(私の父もかなり耳が悪く、既に補聴器なしでは片耳がほとんど聞こえないのだが、話し方はごく普通だ)。

正直、聞き取りやすい話し方ではない。2015年に放送されたWOWOWのドキュメンタリーでいがらしさんが話すのを見ていたのもあり、トークショーをやると聞いて驚いたのを覚えている。これまでにサイン会の開催はあったが、トークショーを積極的にやるタイプの人間でないのは明らかだ(あとで調べたら全くやっていないということはなかった)。でもそれでも話してくれるのが一ファンとしてうれしい。この日のトークは、いがらしさんと畠山さん、司会の女性、それといがらしさんの「暴走を止める係」として長い付き合いになる熊谷さんという男性が登壇していた。

ともに東北出身の二人を中心にしたトークは2時間以上におよび、ほぼ初対面だとは思えないほどに互いの懐に飛び込む(主にまったく遠慮なしのいがらしさんが)、スリリングな、見ているほうがひやひやするような対話だった。子どもの頃に幼い友人が溺れたのにすぐに助けに動くことができなかったという畠山さんの話を聞いたいがらしさんが、震災後に故郷の陸前高田を長い期間にわたって撮影している畠山さんに対して「助けられなかったということについての一種の贖罪かもしれない」と語り(畠山さんはこのトークの最中に3回ほど絶句をする。そのときの表情を私は忘れることができないいだろう)、東日本大震災が起きた後に震災をフィクションとして漫画で描いた(「I【アイ】」には津波のシーンが描かれている)ことについては「描かないということはありえなかった」と話す。アートと社会の関係性について言及したクレア・ビショップの著書「人工天国―現在の風景に何をみるのか?」をきっかけに「人工天国―現在の風景に何をみるのか?」と題されたトークの終盤で交わされた、「1年間で120万人が交通事故で死ぬ。問題はそれが起きているということもそうだけど、我々が“そうなんだ”と受け入れてしまうことでもある」という話などは、「俯瞰した尊大な視点で」作品を作ることを自らも認めている二人ならではの対話だった。

対談後に「まっぷたつの風景」を見る。これまでの代表作からテーマである「風景」に焦点を当てた展示だが、陸前高田を写した大量のコンタクトシートがやはり印象に強く残る。会場を回っていたら、いがらしさんを見かけたが、こういうときにどう話しかけていいのかよくわからない。名乗る者でもないし。もうこんな機会もないかもしれないのに、それでも屈託なく話しかけたりできない。

1時間ほど展覧会を見て、バス亭まで小走りで戻る。狭い車内で寝るのは得意で、起きたらまた新宿だった。

 

ぼのぼの原画展

対談2:いがらしみきお(漫画家)×畠山直哉「人工天国ー現在の風景に何をみるのか?ー」|せんだいメディアテーク

いつか潰れるその日まで

車の気配が近づいてくると、まずはフロント部分の飛び出した形状を確認する。私のところにそのまま突っ込んできた場合の、体に当たる位置を予想する。だいたいが腰のあたり。背後が壁なら挟まれて潰されるだろう。後ろに何もなければ跳ね飛ばされるか、ただ倒れるだけか。スピード次第かな、と思う頃には車はもういなくなっている。癖になっている思考だから、いちいち何もなくてよかったな、とか思わない。幼い頃の予想衝突ポイントはもっと胸に近い場所だった気がする。

自転車で道を走るときは、路地から急に飛び出てくる車や、急にドアが開きそうな大通り沿いの大型車両によって降りかかる災難が頭をよぎる。電車のホームで急行とか特急とか通勤快速とかなんでもいいけど、とにかく停車しないものが滑り込んでくるときは重心を後ろに置く、あるいは一歩下がる。後ろから背中を押す誰かを疑っているわけではないので背後は確かめない。起こるかもしれないことをただぼんやりと思う。

家の台所にはミネラルウォーターが20リットル、見えないところに置いてある。洗濯機の横には15リットルの非常用水(トイレ用)。部屋で踏み台にしてる頑丈なプラケースの中は、数日分の乾いた食料と下着、蝋燭、現金、軍手、ジップロック、靴下、ラジオ、絆創膏、水用のビニールタンク、銀色のガサガサしたシート、携帯用トイレ、トランプ、懐中電灯などが詰まっている。今の暮らしになってから、家の四つ足のご飯とトイレ砂を約3ヶ月分余計に買っている。組み立てられる二階建てのケージは押入れの奥に、折りたためるトイレとケージは天袋にあるはず。あと繋いでおけるハーネスも。週末に父親と会うことになっているので、不慮の事故で私が居なくなったりしたら、四つ足の面倒を見てくれないか聞くのを忘れないようにすること。

死なない程度にみる痛い経験も悪くないけど、できれば、痛いとか寒いとかは避けられるものは避けたい。身近な生き物が飢えたりするのも見たくない。用心して用意したすべての物には、出番がなくてずっと役立たずであってほしい。父親の誕生日は3月11日。私のはじめての従妹が生まれたのは22年前の1月17日だった。

「宇宙と芸術展」ほか

冬期休暇がはじまったので「どっか行こうよ」と、同僚女4人で相談。年末年始に営業している展覧会は限られているので(デザインの解剖@21_21、篠山紀信@原美がやってたら行きたかった)、年末年始関係なく森美術館でやってる「宇宙と芸術展」へ。開館時間の10時に集合。混む時期の人気展は時間が命。到着したらチケット売り場に長蛇の列ができててうな垂れてたら、隣でやってる「マリーアントワネット展」で一安心。それでもけっこう混んでたけど。

想定よりかなり博物館っぽい内容で幕開け。曼荼羅図、竹取物語の絵巻、ガリレオ・ガリレイ天文学手稿などなど。江戸時代に自作の望遠鏡で天体観測を実現した、国友一貫斎による月のスケッチが印象に残る。古き良き文字が添えられた緻密な月のスケッチは、鑑賞者の価値観の時空を歪ませる。そのあと見たダヴィンチの手稿が、ほとんど左右反転の鏡文字で書かれていて驚く。ちなみに「左利きでそっちのほうが書き易かったから」って説があるらしい。なんだそれ(両手同時に文字が書けるとのこと)。とにかく歴史がらみのお宝が多く、途中から「開運!なんでも鑑定団」のナレーターに脳内で作品解説を読んでもらうようにしたらしっくりきた。

展示全体がざっくり「宇宙」で括られていて、ところどころで唐突に現代美術作品が登場するのはやや失笑。突然のグルスキー(もちろん被写体は恒例のカミオカンデ)、展示の隅でいきなり回ってる空山さんのお馴染みセクシーロボ、などなど。現代美術作品はほぼおまけ程度に考えておいたほうがよさそう。中では、この展示にあわせて新作を作ったティルマンス(アプローチがちょっとトーマス・ルフ的だったのはご愛嬌)、琥珀を宇宙にみたてたピエール・ユイグの映像などはいいアクセントだった。

後半になると会場でNHKドキュメンタリーが流れるようなガチの宇宙コーナーになるので、子ども連れにも遠慮なく推せる。個人的には火星の石のイロトリドリの断面、ベルリン映画祭で短編賞を獲った瀬戸桃子「PLANET Σ」あたりがよかった。〆に美術館横の飯屋でコラボメニューの「惑星と時空間のパフェ」をあーだこーだ言いながら食べる。会期は1月9日まで。

続いて、住吉でやってる「バラックアウト」展へ。12月25日までだったのに突然延期された、やった!。数年前からゴミ屋敷になっていたという一軒家が会場で、2017年には取り壊しが決定しているとのこと。その話を聞いた時点でやばそうな予感しかしなかったのだけど見事に的中。家の側面に殴り描かれた壁画、モノで意図的に塞がれた玄関。めちゃめちゃな作りの階段を上って2階に無理やり作られた入口へ。

今年の「会場ぶっ壊すから思いっきりやるぞ展」だと、歌舞伎町の二郎ビル跡地で行われたChim↑Pomの「また明日も観てくれるかな?」が思い出されるが、あれはかなり「まとまっている」ほうで(こういうこというと怒られそうだけど)、こっちは清々しく混沌。オフィスビルより一軒家のほうが、破壊されたときの「狂気度」が強いっていうのもありそう。作品それぞれの境目とか、コンセプトも一切わからないし、わからせようと特にしていない、勢いのみ。会場全体の不気味さが群を抜いていて「夜に絶対一人で来たくない」と思わず同僚に向かって連呼した。明るい狂気なのに負をはらむのは、「元ゴミ屋敷」っていうのも要素として大きそう。負は場所に染み込んでいて、すぐには拭えない。

こちらは1月8日まで。元旦もやっているようですが、休みの日も多いので要注意。

年末年始における展覧会の穴場は商業施設です。公営の美術館はみんなもう休み。次が表参道ヴィトン上でやってるピエール・ユイグ展へ。ここは元旦以外なら空いている。1本の映像作品がメインの展示で、ざっくりいうと南極大陸の探索結果を全く別の場所で再現するにはどうしたらいいか、という試み。とはいえ音楽モチーフの作品が多いユイグらしく、その「再現」のために交響楽団を用いるなど、仕掛けが大がかり。壮大な夢を見ている気分になる。20分ぐらいの作品(とそれに関連するある動物の立体の展示がある)。

小規模かつ入場無料スペースのいいところは、ひとつの作品に時間をがっつり取れるところ。さっきの森美術館の逆。人もあんまりいないので原宿の買い物ついでなどにちょうどいい。そいえば、今年は行く先々でユイグの映像を見ることがあったのだけど、ここではじめてインタビュー動画を見られた。コンセプチャルな言葉を紡ぐフランス人の色男。つまり「モテそう」。展示と同じぐらいの時間をかけて動画を見てしまった。こういうのって作品より印象に残ったりする。

最後に、すぐ近くにあるGYREでやってるアセンブルの個展へ。建築家集団なのだけど、恥ずかしながら去年「ターナー賞」を受賞するまで全然知らなくて、今回は勉強も兼ねて見てきた。受賞が発表されたとき「え、建築家集団が? ターナー??」と首をかしげたのだけど、建築家が獲るのも、そもそも集団が受賞するのも初だったのでそれだけはあってた。今回が日本初個展。

個人の感想ですが、GYREってざっくりと作品設置してあって、そんな掘り下げた企画展をやってる印象があまりなかったのだけど(もちろん企画とキュレーターよるのですが)、入口にある気合いの入った説明文を見た時点で「来てよかった」実感が湧く。愛があるな~(あと、説明文をちゃんと紙にして配ってる展示は好き)。

ターナーを受賞したのは、アセンブリリバプール・グランビーの地域住民と取り組んでいる地域再生型のプロジェクト。建物の改築や企画立案だけでなく、プロダクトのアイデアを地域住民に提供してその売り上げを再生事業にあてさせるといった手法の確立から関わるなど、かなり徹底した活動をしていることを知る。日本でも地域再生プロジェクトは多々あれど、建築家が「町の再生」までがっつり取り組む事例って、そんなにないのではないか。

たとえば、阿佐ヶ谷住宅の取り壊しが決まったとき、とたんギャラリーのような動きもあったけど、グランビーみたいに、過去20年にわたって住民主導で住宅再建計画から町を守る運動、みたいなことは目につかなったように思う(不勉強だったらすみません)。というのもグランビーの場合、相手が「権力者」だったゆえに、町の街灯を変えてもらえなくなるなど、町のメンテナンスが放棄されて荒廃して、かなり緊迫した状況だったらしい(って展示会場に書いてあった)。いわゆる実力行使。そういう背景事情まで教えてくれる展示はありがたい、勉強になる。

そんなアセンブリの作風は抜けがあってポップ。日本だと大野彩芽さんをちょっと思い出したり。建築家集団が地域住民と取り組んだプロジェクトがターナー賞に輝く、っていうところの問題定義まで踏み込みたいところ。こちらは会期が2月までで、元旦以外ならだいたいやってる。

いい展示ばっかり当たったのでうれしくなってケーキ買って帰りました。

レベルアップたのしい

2年ぐらい前から週1で通っているテニススクールのクラスが、初級から中級に上がることになった。集団スポーツは見るのもやるのもまったくだめなんだけど、テニスはある程度うまくなるまで自分との戦いという側面が強くて、ずっとフォーム改善のこととか考えていたらあっという間に月日が流れてしまった。まともにラリーができるようになるまで2年。

何かしら継続できる運動に取り組みたかっただけだったから、わざわざお金のかかるスクールにしなくてもよかったのだけど、結果的には「習う」という要素の強い道を選んで正解だった。この歳になってくると言い訳無用で叱咤を受ける機会がどんどん失われていて、頭ごなしに「今言ったこと全然できてないじゃない!!」と言われるのは新鮮だったりする。教えられる側の気もちは放っておくとどんどん薄れるので、まるで軽めのリハビリのようでもある。

あと、見た目とか年齢とか関係なくかっこ良くなれるのが、スポーツのいいところだなと再認識したり。スクールのあるフロアに上がるエレベーターに居あわせたチビハゲデブのおじさん(失礼)が、隣の上級コートですんごいサーブを放つのを見ると、反射的に惚れ惚れできる。誰もが努力次第で光り輝けるって尊い。逆に普段の生活が見た目とか年齢とかに無意識に左右されているのを実感する。

クラスチェンジに話を戻すと、「初球の中ではうまい人」というポジションにしばらく甘んじてやや天狗になっていたので、一気にまた下からあがっていくのが恐ろしくもありつつ、楽しみでもある。さっそく初の中級クラスに挑んだら、周りとレベルが違いすぎて苦笑しつつ、ということはこれからまた学べることがたくさんあるのだな~とひとりでにやにやした。久々に取ったメモの最後には「ぜんぜんだめで楽しい」とある。

そういえば一番最初にスクールで体験レッスンをしたとき、中高のときのキャリアが一応あったので「中級からスタートじゃだめですか?」とコーチに口答えをした覚えがある。無知ってすごい。

新田章「あそびあい」

あそびあい(1) (モーニング KC)

中学生のとき、仲の良かった女の子が、文字通り顔面蒼白で私のところへやってきて「怖い」と相談してきたことがある。話を聞くと、深夜帯に下世話なエロい番組を持っている地元FM局のパーソナリティーと仲良くなり、今晩意味深な時間帯に呼び出されているという。それを聞いて私がどんなアドバイスをしたのかは覚えていないが、彼女をとめなかったような気がする。漠然と「まあ自己責任だな」と思った、確か。


「あそびあい」は、倫理がほぼ抜け落ちていて、誰とでも体を重ねちゃう女子高生・小谷ヨーコと、彼女のことが好きで「至極まっとうな独占欲」をもつ男子高生・山下君の物語だ。テーマが濃いのでそこそこに読み疲れる覚悟で取り組んだのだけど、作画のさわやかさとヨーコちゃんの屈託のなさに救われてさくさく読めた。全3巻。「きもちいいことを逃すのもったいないじゃない」と心の底から悪びれなく話すヨーコの表情が、たまにDr.スランプのアラレちゃんみたいに見えることがあるのだけど、人間は善悪の境界がなくなるとロボットに近づくのだろうか(いや、この場合は作者の意図だろうけど)。

話が進むと、人の話をまるで聞かない鉄壁のようなヨーコの心にちょっとだけ変化が表れるのだけど、その変わりかたの具合がなかなか愛おしい。男性目線のご都合漫画にありがちなわかりやすい変化ではなくて、リアルに彼女の中で起こる変化が描かれている。人間そんなすぐには変わらない。変わらないけど何も考えていないほど馬鹿ではない。ここは作者が女性っていうのがすごく腑に落ちる点だった(あと、ヨーコちゃんみたいな考え方の人間は、人の忠告とか外部的な要因じゃなくて、結局のところ自分の内部の変化でしか変われないんだよな、と再認識)。

逆に、彼女の「あそび相手」に対して嫉妬してしまう山下君の心情は、おそらく「普通」で一番世の中にありふれているものなのだけど、なんだか共感したくないような「正しさゆえの気まずさ」に満ちた描かれ方をしている。話の後半で別の女の子との展開があるのだけど、これがなぜか…ものすごく…苦手だった。やっていることはすべて正しい(ただのバカップルである)のに、なんだかそんなやりとりが不自然なことに見えてくるる。「相手の心を動かすため」に取ってしまう過剰な行動は、己の欲望がそのまま表れたものなのではないだろうか、本当に相手のためを思ったらそうはならないのではないだろうか。悶々と考えてしまった。

そういえば、私の周りの性格の「イイ」大人で、「ビッチは(ある意味)女神じゃん!」と言い切った人がいる。そのときはあまりピンとこなかったのだけど、心が何かしらの理由でかけてしまっているヨーコを見ていると、確かにギリシャ神話の女神のようだな、と思った(あの神々ほど自分勝手じゃないけど)。心の痛覚が極端に鈍感な彼女は、まるで魚のように自分の身を差し出してしまう。周りは、いつかそのまますべて食い尽くされてしまう、と心配するのだけど、刹那的に生きる彼女の思考回路にはまったく引っかからないのだった。彼女のことは誰も「修理」できない。自身でOSのアップデートをしていくのを見守ることしかできない。

全体を通してあまり過剰に重い描かれ方はしているわけではないが、ヨーコの思考はやっぱり強烈なので、生々しいのが苦手な男性諸氏はちょっと警戒して読むべし(「モテキ」レベルで悲鳴をあげている友人が身近にいるのだが、そういう人には勧めない!!!)。ただ、するすると読み進められてしまう展開の中にヨーコが女神になった原因がちょこちょこ示唆されているので(彼女の本名が片仮名で「ヨーコ」って知ったときの何とも言えない感じとか)、そこを拾い上げていくだけでもけっこう読み応えはあるはず。

この流れで勧められる漫画としては、やっぱりなんかとてつもなく「欠けている」女を描いた安田弘之先生の「ちひろ」、「ビッチな女子なんてやだ!」という男性にはヤリチン野郎が主体でもっとロマンにあふれた武富智先生の「この恋は実らない」を、「全然平和じゃん!もっとエグいのが読みたいの!」という不謹慎な輩には村上かつら先生のサークルクラッシャー漫画「サユリ1号」を挙げときます。


冒頭の中学の友人ですが、悪い予感は見事に当たり、その後いろいろあって見事に奔放に花開く彼女を私は至近距離で眺めていることになった。家の境遇も私とやや似ていたので、彼女は身近な反面教師だったし、ヨーコちゃんと違ってそれなりに痛い目も見ていた。最後に話した会話が「私、これから渋谷とかじゃなくて中野が来ると思うんだよね」という実にどうでもいい内容で、随分前から連絡が全く取れなくなってしまった。彼女がどこかで平和に暮らしている気が全くしないのは、私が非情だからかな~。

あそびあい(1) (モーニング KC)

あそびあい(1) (モーニング KC)

 

尻が透けるパンツを奨励する

異常に下着にこだわる男性を何人か知っている。女性が纏う下着ではなく、自分が身に着ける下着についての執着で、最近だと、自身の経営する古道具屋にお気に入りのブリーフ(しかも水色)を置き「これ僕が好きな下着なんです」とお勧めする知り合いが一番の狂気を放っている(否定しているわけでなく、むしろ賛辞を送る)。そういえばヴィンセント・ギャログンゼの白ブリーフがお気に入り、という有名なエピソードをお持ちだけど、今も好んで履いているのだろうか。わざわざ日本から大量に取り寄せて。

そもそも女友達と下着についての話をした記憶がない。みんな何がしかの基準でどこかから仕入れているのだろうけど、まるで話題にあがったことがない。みんな私の知らないどこかで闇下着会議でもやっているのだろうか。やってないか。

私自身「上下の色が揃ってればいいんだっけ?」ぐらいの意識しかないのだが、意識は低くともある程度の納得ができる買い物はしたい所存である。個人的に納得がいかないのは世の流れが「コットンは肌に優しい、最高の素材!」という風潮にあることで、私がコットンのパンツを「資本主義パンツ」と心の中で呼んでいることをここで改めて表明したい。だって! 洗うとすぐ素材もゴムも伸びるし! 耐久性に問題がありすぎるだろ!!!!! 「自分のよれよれになったパンツを干す」という行為は、人生における悲しい瞬間ランキングで上位にランクインしている。

では何をお買い求めになりましょうか、と考えると、いわゆるキラキラした女性下着はまず論外で(さっきの「よれパンを干す」に「男受けが良さそうな」を組み合わせると破壊力ボーナスがつきます)、シンプルの聖地である無印良品は完全にコットン教に飲み込まれている(十数年前までは無印にも化学繊維の下着はあったのだが教祖が変わったのだろうか)。たいした期待もせず、よろよろと次の聖地であるユニクロに向かったところ、私は出会ったのである「ウルトラシームレスショーツ」に。

ウルトラシームレスショーツは縫い目がない化学繊維のパンツだ。そもそもの「パンツのゴム」という概念がなく、化学繊維なのでおそらく素材が伸びることもコットン素材と比べて少ないのである。手に取るとペラペラなので一瞬不安になるが、着用すると特に問題なし。ていうかペラペラなので畳むとものすごく小さくなる、省スペース。

で、このウルトラシームレスショーツには、ビキニタイプ、ヒップハンガー、メッシュバック、タンガ(いわゆるTバック)の4種類がある。いくつか買ってみたのだけど、おすすめなのが、ずばりメッシュバックだ。名前の通り後ろが通気性の良い素材になっていてなぜか尻が透ける!!!(公式サイトには「通気性が良く、女性らしいデザイン」と記載があるのだが「尻が透ける」のがなぜ女性らしいのか、なんとなくわかるけどあえて「謎」と定義したい)。後姿がセクシーな感じになるのだが、そんなことはどうでもよく、背面がメッシュになっていることによって「履くときに後ろ前がものすごくわかりやすい」のである。これ最高だ!!!(個人の感想です)。ということで大量買いをした報告です。


あ、そういえばさっきのユニクロのリンクをクリックした人は高確率で「アドセンスに女性下着が出る呪い」をかけられている可能性があるので、頑張ってお祓いしてくださいね。